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  私はこっち  -  2006.09.07.Thu / 00:00 
 とてつもない奇跡(分裂勘違い君劇場2006/9/3)を読んだ。存在する奇跡についてだ。そのとてつもなく低い確率で起こる奇跡について私も以前書いたことがあるが(ここ)、劇場管理人fromdusktildawnさんが書かれた文章のほうがそのすごい奇跡っぷりが際立っていて説得力があった。
 存在自体が奇跡だという事実は殆どの人にとって別に目新しい知識でもなければ、新発見でもないと思う。生活していれば感じるし、自然と解かることだ。しかしこうして数字にしてみるとその確率の低さに驚愕し単純に「スゴイ!」と思ってしまう。そして自ずと奇跡的に存在する貴重な自分と他人を大切にしようと考えるようになるのだが、その気持ちはすぐに忘れ去られてしまう。存在することが出来た数少ない生き物の中で、これを奇跡だと肌で感じることができる能力も、確率を計算できる能力も人間だけが持っているのに、じゃあ自分と他人を大切にしようとか、生きているこの瞬間を喜ぼうとか、継続的に思い続ける能力というのは持っていない様だ。だからこの手の話は、忘れた頃に読むなり思い出すなりしたいなと思ったりするのだ。

 しかし存在する奇跡を尊ぼうという考え方が一面的で、奇跡でも何でもなく全てはなるべくしてなっただけのただの事象に過ぎないという考え方があることも私は知っている。劇場管理人fromdusktildawnさんが書かれた次の日の記事 世界に一つだけじゃない花(分裂勘違い君劇場2006/9/4)がそのことを言っている。自分も他人も大切な唯一無二のものでも何でもなく、命には重さも軽さも別にないのだ。

 対極にある考え方だがどちらも間違っていない。結局「出来事」はそこにあるだけで何の論意も存在しないのだ。正解を争うならそれは全く机上の空論でしかなく、前頭葉の発達した人間だけができるただのお遊びだ。

 ただのお遊びで色々な解釈があるのだが、わたしは存在の奇跡を信じる。すぐ忘れるけど、こっちの論をとる。そのほうが生きやすいし、幸せにもなりやすいと思うから。人間が滅亡しない方向にはこっちの考え方の方が近道だと思うから。
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